2010年9月10日金曜日

誰が責任をとるのだろう

村木厚生省元局長の判決が大阪地裁で出された。
結果は、「無罪」であった。


この結果を、真摯に考える時、誰が彼女の人生に対し責任をとるのだろう。

法務省も、検察も、捜査に係わった大阪地検の特捜も誰も責任はとらないのだろうと思う。


彼らが考えて、様々な捜査をした。その結果が、起訴であった。それは仕方が無いとしても、彼女の人生をどう取り返すのだろう。

報道もまた同じではないだろうか、推定無罪という法の原則はどこにも、ひとかけらもない報道をして、社会的に抹殺しているのが現状である。

今回のが、検察も、報道機関も見直すことが出来る良い機会ではないだろうか。

それとも、ルーティンワークで同じことの繰り返しだろうか。



また、石川知裕代議士の場合も一方的な、検察官の感情移入による法律の適用があるのではないだろうかと思う。


仙谷官房長官の事務所費問題は、修正でチャラか?同じようにテーブルに載せて捜査・報道すべきでは。


今の、日本には皆が同じとする法のスタンダードが無いのではないのではないのだろうか。