2010年6月18日金曜日

地方議会制度は・・・・?????

6月定例会の真っ最中である。ふと、思うことがある。

「地方議会はなんだろうと」

議会の内部にも、「わっぱか」・・・この地方の方言で、適当に形だけすませてしまおう。または、早く片付けてしまおう。とういうような意味。・・・・という言葉が聴かれたり、当局は間違っていないので追認することが議会の役割だと公言することがあったりと。

一方、当局にも、「いじめないでください。」との言葉が管理職から聞こえる。

議会と何か、地方自治法で定められているもの、日本国憲法で定められた地方議会が、ある面、本当の機能をしていないのではないか。

機能ということではなく、法の趣旨に沿った議会が議員にも、当局にも理解されていないのではないかと考える6月定例会である。

先のブログにも書いたが、お互いがお互いの立場で正しいと考えて提案し、質疑をしている。お互いの考えを理解するための機会が議会ではないだろうか。

行政の立場として提案し、われわれは様々な立場や様々な経験からチェック機関として、市民生活の向上を目指して質疑を行っている。

ぜひ、健全な議会を作るためにも、機関委任事務を主としたの改正前の地方自治法の時代から脱皮するためにも、議員と当局がともに意識を改革する時期ではないだろうか。

2010年6月12日土曜日

「誰もが正しく、それは正しい」

 少し変わったタイトルになりました。
 総務省の小川政務官秘書官の浦上さんのブログの一文です。
 浦上さんは、岩手県の市町村課長もされた方で、何度かお会いし話をさせて頂いています。
 
 浦上さんブログにこの一文を見つけて時は、これだと感じました。
 
 陸前高田市政について、先日、ある方から某市会議員さんが、現市長の評価をされ、「財政再建に大きな成果を出しているといっていたけど、どうなの?」って、私は、「待っているだけでは何も出来ないし、到達することも出来ないと考えています。だから、積極的にやらなければならないことはやるべきであるとの考え方を持ってます。」といつも主張してきました。

 一方では、現市政の財政再建を進めることも正しいし、市民生活の向上のために施策を積極的に展開することも正しいと思います。ただ、行き着く先とスパンを明確にし、だから現在はこのような施策を行っているとキチンと説明できることが必要であると思っています。そして、それが、政治家としての使命であり責任であると考えています。

 物事を多方面から観察して、何をなすべきかを判断し、施策を展開する。そして、市民に説明することが必要だとも考えます。今、一番必要なことはこのことではないかとも感じています。

 物事は、それぞれの見方考え方からだけ見たら、「それは正しい。」のだと思います。ただ、様々なことを加味し総合的に見ることから、「誰もが正しく、それは正しい」から、今やるべきことを決めることが必要であると感じたブログでした。

 浦上秘書官のブログは、パスワードがかかっていますので、勝手に見ることは出来ませんが、この記事だけは紹介したいと思います。

朝礼での一言! うらかみのつぶやき から

誰もが自分が正しく、それは正しい

某省の副大臣の秘書官からの電話があまりにも傍若無人で、怒りを通り越して、驚いてしまうことがありました。

内容は、詳しくは書けないのですが、激しくけんかをしてしまい、結果的には問題は解決の方向に向かったのですが、本当に後味の悪い、泥仕合でした。

その後、少し冷静になって、どうしてこういうことが起きるのかな、と自分なりに考えていました。

そんな折、先輩から「みんな誰しもは自分のことは正しいと思っているし、それは正しいのではないかな」というアドバイスを頂きました。

 

世の中は、さまざまな方がいて、さまざまな立場があります。

人口増大の局面では、何もしなくてもそれは調整されたのかもしれません。

しかし、これからの人口減少の局面では、強いリーダーシップで調整をしていかなければ、みんなが不満を抱えていくだけなのかもしれません。このあたりは、政務官がよくおっしゃることです。

 

一方、調整される側に立ってみることも大切かな、と思います。よりベターな結論を導きだし、みんながそれなりに納得するためには、自らの考えが絶対ではない、と考えることが必要かもしれません。

「自らを相対化する」心の広さと余裕が必要な気がします。

その際のマジックワードが「誰もが正しく、それは正しい」ということなのかな、と思います。

このコトバを唱えると、なんとなく、とがっている心が平らになっていくような感じには、なりませんか?

浦上さんは、キャリア官僚ですが、地方を考えてくれる人です。

2010年6月10日木曜日

既得権と行政の公平性・平等性

既得権について考えさせられている。
既得権を見直す時期はいつなのか、どんなときに見直さなければならいのか。

一つの時期は、行政の公平性・平等性を考えるときが大きなポイントになるのではないだろうか。

市に必要だけども行政では、直接事業を行うことが出来ない。そこで、民間の方々に行ってもらう必要があり、行政は出来る範囲でのお手伝いをして、始めてもらうことが多々ある。

行政の支援は、許認可であり、財政的な支援であり、土地の無償貸与のときもある。

そのうち、その種の事業が社会的に定着・浸透して、民間ベースでも様々な事業が展開されてくる。一定期間が過ぎ、最初の法人も一人前になって、様々なものを更に展開する。あるいは、行政からの要請もあるかもしれないが、事業展開を進めることが出てくる。

そのときに、最初の法人に対して優先的な要請や、様々な利便の提供がいつまでなされなければならないのか。後発の民間法人からすると、同じ法人でありながら行政の支援が全く違うことに、不公平感を募らせてくる。なぜ、新たな事業展開をするときに同じスタートライン意立てないのかといった疑問も生じる。

こんな時こそ、既得権の見直しをする良い機会ではないかと感じている。

新たなものをはじめようとするときには、前例踏襲ではなく、様々なものを見直し、行政の公平性・平等性を確保する良い機会ではないかと考える。

ぜひ、市民生活の向上を様々な角度から検討することを念頭に入れた行政の展開を願いたい。

2010年6月9日水曜日

回り道?近道?

 「何が近道なんだろう。何が回り道なんだろう。」との思いがある。

 議員の定数はどうあればいいのかという議論が始まった。私は、まず何人といった数ありきではないと考えている。他の市町村議会が何人だからではないと思う。市民に対してキチンと説明できる根拠が必要だと考えている。

 議会とはどのようなものであるべきか。
 議会が、今求められている役割とは何か。
 今後考えられる、地方の役割に対して議会はどのような役割を担うべきか。
 今後、議員が果たすべき役割・責務とはとのようなものと考えているか。

 議会の役割、制度の変革によって求められる議会とは、などを検討し、議会としてのあり方を考えたときに、議会の質や規模が決まってくると感じている。
 また、きちんと理論化することにより、定数決定の根拠・論拠を市民に対し明確に説明できるものと考える。

 このことを考えることが、議員定数の答えを導き出す近道であり、王道のように私は考える。

人からは、正論を議論しても模範解答しか出てこないから、直接的に議論すべきとの意見もあるようだが、それでは何故その人数になったかという答えは出せないように感じる。また、市民にも納得をしていただけるような答えは出せないと考えている。

 何事も、何が回り道で、何が近道かを判断する際には、本質は何かを考えることが必要と考えている。

2010年6月2日水曜日

配慮

久々にブログ更新です。
なんか意味深なタイトルとなりました。
様々な意味で、この「配慮」という言葉を感じています。

「自分の立場だけで考えない。自分の物差しだけで判断しない。」
今、このことが忘れられているのではないかと感じます。子どもの世界だけでなく、大人の世界や組織でも「配慮」という言葉がどこかへ忘れてきたように感じています。

そこには、自分達だけの判断基準しか持たない単一的な組織が多くあるというか、そのような指導者が多いといったほうがいいかもしれません。

人間も、社会も様々なものに囲まれています。そしてそこから影響を受けています。ゆえに、判断するときには多面性、多様性のもとに判断しなければならないと考えます。

自信を持って、行動する際にもそこにはきちんとした説明できるものが無ければなりません。

なぜ、こんなことを今日書いているかというと、ある組織で入社したての社員をイベントに借り出しました。借り出したほうからすると自分達の組織に入れるには都合の良いイベントです。
ただ、職場の仲間、上司、社会からするともう少し違った判断、言い換えれば配慮があってもよかったのではないかと感じました。

そのイベントに借り出された社員が今後どのように育つか判りませんが、別な面から見ると決してプラスになるとは思えなかった。もう少し、後からその種のイベント参加に声をかけても良かったのではないだろうか。
声をかけたほうは、軽い気持ちで誘ったと思う。しかし、そこから起因するものを考えた行動、配慮が必要だったのではないかと。

一つのたとえを明記しましたが、私の行動にも当てはまることから、「配慮」という言葉を忘れないようにしたい。