2010年8月20日金曜日

職員はコストか資産か?

 行政において、職員定数の適正化と称して定員適正化計画などを作成し、職員数の削減を行っている。類似団体との比較やモデル定員との比較など様々な形で職員数の大枠を決めている。

 そこにあるのは、事務量や住民ニーズ、地理的要件、産業構造、などなど様々なものを行って数値に置き換え定量化されたものからはじき出されている。
 当然、自分のところの自治体に置き換える際には、その組織の職員個々の能力やその仕事に対するスキルなども計算してどれだけの人的な労力がいるかを計算していかなければならないと思うが、実際のところそのようなことまでして人員配置、人事配置をしているとは疑問がつくのが現実の問題である。

 さて、本題に戻ろう。職員の適正化計画という名のもとに職員数の削減をしていることは紛れも無い事実である。そこには、三位一体改革の影響をはじめ、国そして市町村の財政が厳しいことからコスト削減として人員削減を行っていることも紛れも無い事実である。
 ことあるごとに、職員は人材・・・人財・・・であると言い続ける人事担当や首長が本当にそう思っているのだろうか?一部の職員は人材であるが、ラインの仕事をしている職員は、行政として行わなければならないことをするためのコストとしか見ていないのではないだろうか。

 職員数を減らし、代わりに低額で雇用できる嘱託職員を採用する。この実態からすると、本当に職員を人材として、行政の自治体の資産としてその価値を大きくすることがなされているのだろうかはなはだ疑問を感じる。

 また、嘱託職員に仕事をまかせ、もし問題が発生しても自ら先頭にたってその解決にあたらないフリーライドの職員は、陸前高田市では決していないと思うが、様々な組織をみると確実に見受けられる。

 こんなときだからこそ、職員をコストという発想ではなく資産としてその価値を大きくすることが必要なときだと感じている。

 地域主権が叫ばれ、補助金の一括交付金が具現化されようとしている。このような、新たな制度が始まろうとするとき、航海図の無い海に出航しなければならないこのときこそ、職員を資産と考え、人材を人財にするマスタープランが必要だと考える。

 もし、このブログを読んで、感想がある自治体職員のご意見を賜りたい。
 特に、人事や行革といった部門に居られる職員の皆さんのご意見を伺えれば幸いです。

2010年8月19日木曜日

行政に求めるものは何?

国、県、市町村と様々な行政機構機能にたいして、国民・住民の求めるものは時代の変化とともに、多岐多様になってきている。その量も膨大に膨れ上がってきている。

「自助」、「共助」、「公助」という言葉がある。年々、公助の占める割合が大きくなってきているように思う。家族の崩壊、地域コミュニティの崩壊、限界集落、教育のありかた、産業構造などその要因もまた多岐多様であると思う。

一方で、公務員バッシングである。公務員が多すぎる。待遇が良すぎるとの批判が受け入れられているのも事実である。鹿児島県の某市長や、名○屋市の市長のように、制度の盲点、日本の国民性からそのようなことはしないと考えて作られた法律を、自分なりに運用されている方もいる。そして、支持されているのも現実である。

しかし、行政に求めることは多くなり、その仕事を担う行政は小さくしたい。どうバランスをとったらいいのだろうかと考えさせられる。自分の考え方や感情からだけ見るのではなく、お互いの立場に立って考えてみることが一番必要ではないだろうか。

行政に携わる人もまた同じである。お互いの立場にたって考え、行動すべきではないだろうか。それこそ、何故存在しているのか。何を目的に作られた組織なのかという原点にたって。

総理特別補佐官の逢坂誠二衆議院議員がこのように書いていた。行政の大小ではなく、何を求めるかという行政の質を考える必要があると。
一部引用させて頂く。

(1)政府の性能
  ・・・・・・・・(略)・・・・・・・・・
 また今回は。「政府の性能」という考え方にも言及しています。よく大きい政府か小さい政府かが議論になることがあります。しかし、私は、政府の大きさは政策分野によって異なり、一概に言えないと考えています。また同じ政策分野でも地域によって必要な政府の大きさが異なる場合もあると考えています。
 さらに日本の問題は、この政府の大きさがかんたんに特定できないことなのです。そして本来肝心なのは、単純な政府の大きさではありません。政府に投入した資源(人やカネ)の一定量に対し、なるべく大きな効果が得られるようにする工夫すること、すなわち政府の性能を高めることが必要なのです。

  ・・・・・・(略)・・・・・・・・



今、住民も行政に携わる人間も、「自助」、「共助」、「公助」とともに、何を行政に求めるかを考えなければならないし、行政もまた性能を高める努力が求められているときと感じています。
本市も、様々な行政課題を抱え、自立を選択しました。自立するためのまちづくりとはといった原点を皆で考えてみる必要に迫られています。

受身

今、市議会では次期改選期からの議員定数について議論をしている。
議論の内容を全て公にしようと、会議は全面公開をとっている。

しかし、傍聴者は数人である。
広報の仕方が悪いとのご批判もあるかもしれないが、議会広報やHPで会議があることを知らせている。

議会基本条例に基づく議会報告会も行われた。
行政区長さんを通じて、回覧板で告知、議会HPでの告知を行ったが、参加者は200人を少し越えた人数となった。

そんな中、市民から議会が見えない。議員が何をやっているのかわからないとのご指摘を受けている。

今回の議員定数にしても、議長からどのような形が良いかとの諮問があり、検討してきた。その検討の議論の中に、議会報告会で議員の数が多いという意見が多かったととの指摘がある。

確かに、私が出席した地区でもあった。しかし、今議会が求められているもの、私達がやろうとしていること。

そして、地方自治法に基づく地方議会の役割をキチンと説明すると納得してくれた。但し、議会も真摯に市民の声を聞かなければならないと思う。

議員の中には、削減しなければ市民運動を起こすといっている人もいると話す方もいる。
我々議会がどうしようとしているかを説明することにより、一方的な市民運動は起きないと思う。議員が、そして議会が説明責任を果たすことが求められていることを皆が自覚しなければならないと思う。

議会基本条例では、第17条で、「議員定数を改正する際は、市政の現状と課題及び他市等の状況、並びに議会が果たす役割を考慮しなければならない。」と規定した。

今は、受身の議会の姿しか見えないが、議員がそして議会が、積極的な役割を果たさなければ、議会不要論がまたぞろ出てくる。

ただし、独りよがりではなく、市民とともに議会の果たす役割を議論しあって、議会のあるべき姿を決めていく必要があると考えている。

私も、これから一層の情報発信とコミュニケーションをとる努力をする。

いつまでも、受身であってはいけない。住民の最も大切な権利の上に成り立っているということを肝に銘じたい。

2010年8月8日日曜日

総務常任委員会視察その1


7月27日から30日に掛けて、総務常任委員会の行政視察が行われた。

視察先は、三重県鳥羽市において、防災対策を、三重県伊賀市において議会基本条例の運用につい手を調査してきた。


鳥羽市は、リアス式海岸と離島を有しており自主防災組織の活動が盛んな地域であること、当南海地震などの大きな自信とそれに伴う津波対策に力をいれていることから視察先に選定しました。


27日は、一ノ関~東京・東京~名古屋・名古屋~鳥羽と一日新幹線とJRを乗り継いでの異動となりました。高田をでたのが午前8時、鳥羽に着いたのが午後4時半。途中、等級駅の乗り換えは8分。駅弁を買って、新幹線内での昼食です。


翌日、鳥羽市の防災担当者から具体的な説明と、2月28日に発生したチリ地震津波の対応等について意見交換をしたところです。


鳥羽市では、地震や津波により孤立する地域や離島を抱えていることなど、本市より厳しい環境がありました。その中で、避難人員の確認や、一人暮らしの方の安否確認、地域での車椅子利用者等からだの不自由な人たちの避難体制を自主防災会が行っていることなど、本市でもこれから取り組まなければならない課題について勉強することが出来ました。


また、当市とは違って通年型の観光地であることから、観光客の避難体制等についても様々検討を行っておられましたが、なかなか理解して頂けないことなど、同じ悩みも抱えておりました。


東海、東南海、南海地震による被害が予想されている地域であり、防災にかかる様々な通信手段や装備が充実していたり、各種のハザードマップの整備状況や、非難施設との連携がされていたのも印象として残りました。