2010年8月19日木曜日

行政に求めるものは何?

国、県、市町村と様々な行政機構機能にたいして、国民・住民の求めるものは時代の変化とともに、多岐多様になってきている。その量も膨大に膨れ上がってきている。

「自助」、「共助」、「公助」という言葉がある。年々、公助の占める割合が大きくなってきているように思う。家族の崩壊、地域コミュニティの崩壊、限界集落、教育のありかた、産業構造などその要因もまた多岐多様であると思う。

一方で、公務員バッシングである。公務員が多すぎる。待遇が良すぎるとの批判が受け入れられているのも事実である。鹿児島県の某市長や、名○屋市の市長のように、制度の盲点、日本の国民性からそのようなことはしないと考えて作られた法律を、自分なりに運用されている方もいる。そして、支持されているのも現実である。

しかし、行政に求めることは多くなり、その仕事を担う行政は小さくしたい。どうバランスをとったらいいのだろうかと考えさせられる。自分の考え方や感情からだけ見るのではなく、お互いの立場に立って考えてみることが一番必要ではないだろうか。

行政に携わる人もまた同じである。お互いの立場にたって考え、行動すべきではないだろうか。それこそ、何故存在しているのか。何を目的に作られた組織なのかという原点にたって。

総理特別補佐官の逢坂誠二衆議院議員がこのように書いていた。行政の大小ではなく、何を求めるかという行政の質を考える必要があると。
一部引用させて頂く。

(1)政府の性能
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 また今回は。「政府の性能」という考え方にも言及しています。よく大きい政府か小さい政府かが議論になることがあります。しかし、私は、政府の大きさは政策分野によって異なり、一概に言えないと考えています。また同じ政策分野でも地域によって必要な政府の大きさが異なる場合もあると考えています。
 さらに日本の問題は、この政府の大きさがかんたんに特定できないことなのです。そして本来肝心なのは、単純な政府の大きさではありません。政府に投入した資源(人やカネ)の一定量に対し、なるべく大きな効果が得られるようにする工夫すること、すなわち政府の性能を高めることが必要なのです。

  ・・・・・・(略)・・・・・・・・



今、住民も行政に携わる人間も、「自助」、「共助」、「公助」とともに、何を行政に求めるかを考えなければならないし、行政もまた性能を高める努力が求められているときと感じています。
本市も、様々な行政課題を抱え、自立を選択しました。自立するためのまちづくりとはといった原点を皆で考えてみる必要に迫られています。

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