2011年7月6日水曜日

お人よし?民主党の国会議員

菅首相は6日の衆院予算委で、大震災の本格的復興のための第3次補正予算案には「新体制の下で対応する」との方針で民主党執行部と一致したことに関し、必ずしも退陣を前提としたものではないとの認識を示唆した(時事通信)

首相「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまでやる」

との記事を見た時は、民主党の国会議員ってお人好しって思いました。

言葉で勝負するのが政治家だと思っています。

また、その言葉を放つ背景も言葉には含まれると思っています。みんなが考える背景や時期と、菅総理の言葉の背景と時期には大きな違いが有ると思う。

その距離は、地球といとかわが往復した距離以上のものではないだろうか。

これでは、国民は政治家を誰一人信じなくなる。

これでは、日本から政治家は信用されなくなる。民主党の国会議員は、それを織り込み済みだったのだろうか。・・・・・今となっては、松木けんこう衆議院議員の姿勢こそ評価すべきだと感じている。

菅さん、ご自分を考えるより、この国のかたち、そして政治家が必要か不必要かを含め、是非、政治家として、権力闘争だけではない政治家の姿を自問自答していただきたい。

このままでは、中央も地方も民主主義の形としての代議員制度である議員は不要と国民、市民に判断されてしまう。

政治に携わるものの一人として、最高の政治家としての範をたれて欲しいと希望するのは、小さな地方議員を目指す私一人だけだろうか。

2011年7月5日火曜日

いつから民主党ですか?との質問を頂きました。

私の活動を少しでも知っていただきたいと。ブログやツイッターをしています。
昨夜、「過酷な教育現場」にご意見をいただきました。
ありがとうございます。・・・・・・ご意見は公表しています。

そんな中、先日、ある中央紙の記者さんから質問を受けました。
その回答を電話だけだと誤解も生じることから文書で回答しました。

私の、考えを少しでも理解いただけたらと思って、公開します。皆さんのご意見、感想をお願いします。

○ いつから民主党員になったか


 正式な党員には、自由党が民主党と合併した時からです。

 政治にかかわりを持ったのは、新進党の時代からです。それまでは、共感はしていても公務員であることなどから政治には直接的なかかわりはありませんでした。

 政治スタンスとしては、小沢一郎という政治家の政治姿勢に共感してきたといっても良いと思います。

 陸前高田市は、中選挙区制時代は岩手2区で四人の衆議院議員がいました。その中のひとりが小沢一郎衆議院議員でした。

 彼が政治家になる大きなきっかけを作った一人が、私が市役所時代つかえてきた熊谷喜一郎という陸前高田市長です。私は、熊谷喜一郎という政治家、特に首長としての彼の政治姿勢に共感しており、今でも地方自治の師と考えています。

 その政治姿勢にダブルところがあり、また、地域の細かなとこまで認識している小沢一郎という政治家が、どこに政治家としての基本を置いているかを見てきたからに他なりません。

 熊谷喜一郎も、陸前高田市の将来を考え大きな計画を立てました。しかし、反対運動にあってその計画は挫折しました。しかし、今になって「あの計画が実行されていたら陸前高田市は変わっていた。計画を実行してたらな。」との声が聞かれます。

 細川政権の時に、福祉目的税を発表しました。発表の過程には、いささか疑問が無いわけではないですが、その考え方は正しかったといえます。それこそ、年金問題が発生してからは、消費税の社会保障の財源とする考え方が様々な政治家や評論家から出されていますが、いち早くその考え方を打ち出したのはだれあろう小沢一郎です。

 あの時、福祉目的税を導入していたら社会保障問題は大きく異なっていたのではと感じています。時代の先を行き過ぎているとは感じません。今しか見えない政治家と違って、将来を見越せる政治家だと私は思っています。それが小沢一郎であると。

 また、小沢一郎の考えを曲解している方々もいるように感じています。一例を挙げますと、政治主導を履き違えているのではないかと感じています。小沢一郎が言う政治主導は、国民から付託を受け、すなわち、国民に対して責任を取らなければならない政治家が責任を持って決定するということなのです。官僚を排除するのではなく、官僚を使いこなさなければならないのが政治家であるということです。国民に対して、公僕ではあるが、直接的に責任を持たない方々に大事な決定を任せてはならないということなのです。

 小沢一郎は、決して官僚が嫌いなわけではありません。ましてや、その頭脳集団として優れているということも理解しています。達増拓也岩手県知事をはじめ政治の道を一緒に歩んでいる方々も大勢居ます。

 国民に対して、政治家がきちんと責任を持って国政に当たることが当然との考え方が政治主導なのだと私は理解しています。

 また、忌避政治との話を、この前させて頂いたと思いますが、国民受けばかりでなく「良薬口に苦し」もきちんと発することが必要だと考えています。



○ なぜ今の民主党ではいけないか。

 私は、今の民主党ではいけないと感じているのは、自分たちの都合で国民との約束を簡単に反故にして良いのかということと、党内でなぜ議論を尽くすことをしないかということです。

 大勢の人間が、それも生まれも、育った環境も違った人間が集団としているのです。その中で議論をし、収斂していくのが政治のプロセスで最も大切なことだと考えています。それが、出来ていないのが今の民主党であり菅政権だと思います。逢坂誠二衆議院議員が今の様々な会議は、いつまでにこんな結論を出すことが決まった会議をしているので、会議の目的や議論すべき点があいまいな会議が多いと話されています。内部でもこんな話が出ています。私は、しっかり議論する民主党であって欲しいと思います。

 また、今の菅政権は、自分の思いつきだけを話し、出来なければ次の思い付きを話すだけです。これでは、政治家が発する言葉の重みはありません。ということは、政治家は言葉で国民や住民に対して約束をするのが仕事なのに、これでは成立しないことになると考えています。自分が発した言葉に責任を持つ政治家の集団を目指すべきというか、本来に回帰すべきだと思います。私が小さい頃は、大臣の失言一つで辞任に追い込まれていたことを思い出しますが、今は何を言っても済まされると感じています。

 菅さんを支えている方、支持されている方々の多くはすばらしい頭脳をお持ちの方々ですが、言葉に重みを感じないのは私だけではないと思いますが、これも時代なのでしょうか。

 でも、国民や住民に信頼されるためにも、自分が発した言葉に重みを持つ誠治をしていただきたいと思いますし、自分もそう心がけています。



◇ 逢坂誠二衆議院議員のメルマガから

 6月11日のメルマガです。

 夜明け前の都内は、結構激しい雨になっています。



今日は、暦の上での入梅です。



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本来なら昨夕、帰函したかったのですが、

税調や総理との打ち合わせ等があり、

今朝一番での帰函となりました。



そのため早朝からの移動開始となります。





1)税制議論

政府の税制調査会など、

幾つかの会議で、連日、

税と社会保障の議論が重ねられています。



しかし議論を急ぎ過ぎているため、

逆に、スピード感を落とす結果となっています。



目的を急がずに、大きな議論を戦わすべきです。

課題が大きければ大きいほど、

虚心坦懐に議論すべきなのです。



消費税率の変更だけを目的にしている方々には、

この点が見えていない感じです。



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また会議体が多すぎて論点がボケています。



そのためか議論の雰囲気を見ていると、

覚悟や危機感が感じられません。



現在の議論は、国民生活に大きな影響を与える、

とてつもない内容のものです。



それを議論し、決定する主体である政治家には、

そのおおごとに携わっているという

覚悟を持った議論が必要です。



しかし、失礼ながら、その覚悟よりも、

急いで結論を出すことだけに力点が置かれている感じです。



いくつもの内閣が成しえなかった、

巨大な壁を乗り越える作業をしている、

その覚悟を持った議論をしなければなりません。







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結構、本音で面白いことが書かれています。

今日は、最高気温が28度の予想です。蒸し暑い一日になりそうです。

2011年6月28日火曜日

過酷な教育現場

陸前高田市の小中学校は、被災によって学校施設が使えなくなったところがあり、3月に閉校した学校の活用や小学校への間借りなどに加え、校庭には仮設住宅。体育館は未だに避難所・・・・・学校の一部も避難所や、行政の様々な施設として使用中。

それに加え、大変な状況に追い込まれている。

それは、がれきから発生するハエや虫、そして臭いや粉塵である。

陸前高田市内の小中学校にはエアコンの設置は1台も無い。自然の風で何とかなっていたのである。

しかし、今はハエや虫、臭い、粉塵から守るために窓を締め切って授業をしている。暑くなってきた。真夏日も有った。

子供達に熱中症を発症させないため、そして集中力を切らせないで授業に向きあわせる努力を学校側は必死である。

でも、物理的な熱さにはかなわない。

全国の皆さん、是非陸前高田の子供達のために、扇風機・冷風機・空気清浄機をお願いします。

お問い合わせ、連絡は

  陸前高田創生ふるさと会議  090-8783-8705(担当:福田)

メーカーさんでは、すでに無償の出荷はかなり出しているとのことでしたが、学校までは想定してなかったみたいです。

 ご協力をお願いします。

相対のがれきは変わらない

市街地の中心部には、がれきの山が大きくなっている。3階建てのビルよりも大きながれきが何箇所も出来てきた。

これは、分別するための仮置き場だそうである。

市街地の中心部は、比較的がれきの散乱から集積へと変わりつつあるが、周辺部は寄せただけ、あるいは全く手がついてない状況がほとんどだ。

6月も終わろうとしている28日現在、市内から1個もがれきが消えていない。

市外のセメント工場や、既存の市町村の焼却炉を活用する調査も始まったと昨夜のニュースでは報道されていたが、動きが遅々として進まないのが現状である。

市内のがれきを集積しているところは、県や市の土地がある。ここに、3年で壊れても良い焼却施設を建設したほうがいいのではないかと考える。

また、輸送コストや環境を考えるなら、セメントを砕くプラントも併設して、再資源化をし、低下した地盤や道路の基盤材として活用したらどうかと考える。

みなさんの、お考えを聞かせてください。

このがれきが有るうちは、まちづくりや復興が一行に進まないのが現状であることを、国も県も市も認識すべきであると。・・・・私見ですが、私はすぐに行動ありきだと考えます。

2011年6月8日水曜日

目の前に有るか無いか

昨日瓦礫処理で、意見交換をした。
その際感じたことは、目の前に有るか無いかが大きな違いであることを。

環境省の方と話したときも、今までの基準をかたくなに守らなければならないとの話であった。

昨日話した方も、基準があってとのことだった。

目の前に無い方は、机の上で様々なことを勘案していらっしゃるのだろうと思うが、目の前にある私達は、がれきが形を変えてがれきの山になっているだけであり、何年たったらこのまちに人が住めるのだろう。生活できるのだろうと感じている。

あと2日で震災から3ヶ月がたつ。がれきも片付けられている。しかし、がれきは1個も処理されていないし、市内からも1個も持ち出されていない。

人々の心へ与える負荷、この地域に与える負荷や、環境負荷も日一日と大きなものになっている。

是非、例外処理を認めて欲しいと痛切に訴えたい。

写真は、がれき処理の状況です。処理に従事する方々の状況も厳しいものが有ります。




2011年6月7日火曜日

陸前高田うごく七夕

今日、陸前高田うごく七夕実行委員会の事務所が完成しました。
被災地を望む高台に、プレハブ事務所が完成しました。

実を言うとここも、津波に浸水したところだけど、避難先を確保して作ってしまいました。

私が、実行委員長代理をおおせつかっています。是非、成功させたいと思います。

早速、今夜実行委員会の2回目の会議をこの事務所で開きました。

電気も申し込んでいないので、発電機での電源供給でした。

この模様を、ニュースステーションが取材に来ました。



でも、まだまだ課題は山積しています。
山車を作成する費用や、事務所運営費など財源確保から、運営面まで沢山有ります。

明日からまた行動です。

みなさんのご支援と応援をお願いします。

連絡先は、当面 fukuda@f-toshiki.com 迄。

現在ホームページ作成中です。

2011年5月30日月曜日

若い力が動き出す

昨日、避難所の一つである陸前高田スポーツドームの一角にブルーシートで仕切られた簡易会議室に30人近い高田町の若者が集まった。テーマは伝統の動く七夕を今年もやるかだった。

幸いにも、津波で流されなかった山車が3台確認でき、それぞれの町内会でも話がされていたようだったが、がれきの町を引っ張るための交通許可が下りるか。安全面はどうするかなどの課題が山積している。

そこで、考え出されたのが高田小学校の校庭に集まって開催する案だった。山車の制作ができないところは吹流しだけでも、七夕ばやしの演奏だけでも良いとして、開催する案だった。

ほとんどの町内会が流されているにもかかわらず、前向きに動き出すパワーがこれからの陸前高田を再興する源であると改めて感じたところです。

私も、微力ながらお手伝いをすることとしました。

担当は資金集めかな。

皆さんご協力よろしくお願いいたします。

ホームページも作る予定です。

それまでは、次のアドレスにご連絡ください。
          fukuda@f-toshiki.com

2011年5月29日日曜日

がれき処理の考えの違い

久々の更新です。

昨日、玄葉民主党政調会長(国務大臣の立場ではなく)が陸前高田にいらっしゃった。
その際に、現場も視察をしていただいた。戸羽市長からもがれき処理についての要請が行われたが、国の考えはなかなか固いのか杓子定規なのか、動き出しが見えないような感じであった。

私と戸羽市長と二人で、木質はこの場で燃やすことが最善であり最も早い処理であると同じ考えであった。

環境省の役人も同行していたので、なんとかこの場で焼却させてくれないかといったら、野焼きはちょっと出来ないとのことだった。

このまま、5年も10年も放置しているほうが環境にどれだけ負荷をかけるか。経費がかかるか。なにより、このまちで復興しようとしている我々にとっては最大の重荷であるし、まちの再興の大きな障害だと訴えた。

このままだと、巨額の国費を投じて、まちとしてのハードが整備された時には人のいない災害過疎の町になっていると訴えたが、どこまで通じたか。

担当の一面だけを観て職務を執行するのではなく、全体を様々な角度から観て検討し施策を打ち出して欲しいと痛切に感じている。

菅総理、本当のリーダーシップを見せて欲しい。

小友浦を覆いつくした、津波によるがれき

2011年5月11日水曜日

NPO法人の申請します

5月5日に設立総会をした、NPO法人陸前高田創生ふるさと会議の法人申請書類一式が昨夜完成したので、これから申請窓口である、陸前高田市協働推進室へ提出に行ってきます。

役員の住民票も添付しなければなりませんけど、住民票と避難している場所が異なるなど普段では考えられない中での申請となりました。

一日も早い認可を待ち望みたいと思います。

でも、活動は続けます。

今日も、炊き出し受入の調整をします。

2011年5月7日土曜日

NPO陸前高田創生ふるさと会議立ち上がる

5月5日のこどもの日に、NPO法人の設立準備会と、引き続き16人のメンバーでNPO「陸前高田創生ふるさと会議」の設立総会を開催した。

多くの支援の皆さんもおいでいただき、総会終了後は東京大学の小泉先生の基調講演や発表もあり、盛りだくさんな設立総会になりました。

理事長には超有名人の八木澤商店の河野和義会長を、私が副理事長ということになりました。

さっそく、今日から入浴支援サービスが大船渡市の碁石にある民宿「海楽荘」さんのご協力によりはじまることとなりました。

また、市外からの支援の調整も行うこととしており、炊き出し支援の調整と受入も行います。

私達の活動の趣旨は次のとおりです。
○ 特定非営利法人「陸前高田創生ふるさと会議」設立の目的と趣旨


 この法人は、陸前高田市の将来像を多くの皆さんとともに考え積極的な情報発信を行い、本市を応援してくれる全国各地の皆さんと陸前高田をつなぐ役割を担うとともに、復旧・復興そして新たな陸前高田を作り出すために市民の目線で考え、種々の活動を行うことによって一日でも早い復興と継続的な陸前高田市のまちづくりを目指すものです。

 併せて、これまで、この町で普通に暮らしてきましたが、この大震災で暮らしが崩壊しました。陸前高田で生まれ、そして暮らしている自分たちだからこそ、様々な経験と強い思いがあります。だからこそ、お仕着せの復興ではなく自分たちが将来に向って胸を張って残せるまちを作りたい、まちづくりに少しでも寄与したいと考え、一人ひとりが持つ力を結集し活動をする組織として設立するものです。

賛助会員も募集しています。
皆さんのご支援をお願いします。
 
陸前高田創生ふるさと会議
 当面の連絡先
   福田利喜
    fukuda@f-toshiki.com
          090-8783-8705

2011年5月1日日曜日

陸前高田市への車の乗り入れについて

全国の皆さんにお願いが有ります。
津波被災地の陸前高田市への車の乗り入れですが、自粛して頂けませんでしょうか。
津波により、国道45号にかかる気仙大橋が落下したため、陸前高田市街地へはいるルートは国道340号と343号となります。国道45号を気仙沼方面から北上してもこのルートを使用します。

瓦礫の撤去、電気、通信の復旧工事が行われています。さらに、災害復旧のための車両も多く走っています。このため、矢作町と竹駒町において渋滞が発生しています。

この地域を通って移動しようとすると5キロ移動するのにも2時間以上かかることも有ります。

是非、陸前高田市へおいでの時は、できるだけ車の台数を減らすようご協力願います。

2011年4月30日土曜日

感謝!感謝!感謝!

今日も一日感謝でした。
朝から、松木謙公先生のご紹介で北海道網走市から支援のお水が届きました。本当にありがとうございます。6500本のお水とともに、照井市民部長さん、猪股総務課長さんが激励に来て頂きました。お水の納期に我がままを言いましたが、こちらの希望どおり支援して頂きました。
本当にありがとうございます。

そして、京都からは龍谷大学の土山先生が多くのボランティアとともに陸前高田に来てくれました。わざわざ、私の安否を確認して訪ねてくれました。多くのこれまでのふれあいに感謝です。

また、災害時FMの設立に力強い応援団が登場しました。村上清さん、佐藤善次郎さん、千葉秀樹さんをはじめとする在京の皆さんが組織したエイド・高田の皆さんです。

一緒になって頑張りたいと思います。


本当に、力強い皆さんの善意に感謝です。

2011年4月24日日曜日

被災地からの声を発信

只今の時間は4月24日午後9時です。

これから、東京へ行ってきます。

明日の夕方に明治大学駿河台キャンパスを会場に行われる緊急特別シンポジウム「被災地は復興への支援をこんな具合に求めているのだ!  ひと味違う報告・討論を聞いて大いに学び合おう」に出席して、実際の生の情報を話してきます。

参加は、菅野広紀議員、米崎町の消防団員大和田祐一さんと三人です。

今夜は、徹夜で東京まで走ります。

地元からの声をキチンと伝える機会だと思い参加することにしました。

2011年4月23日土曜日

減税措置(トリガー条項)の一時凍結

ガソリンが一定期間、ある価格を超えた場合は暫定税率を免除するという、いわゆる減税措置(トリガー条項)の一時凍結が国会で議決された。

理由は、東日本大震災でガソリン不足になっている被災地により多くの燃料を供給するため高値で消費が抑えられることから被災地により多くの燃料が供給されるということらしいが、ナンセンスである。

今は、燃料の供給も安定的にされている。何故に今と感じている。

ただでさえ、ガソリン価格が高い地域にも同じように高値を容認しろというのはお門違いである。

財務省の方々は、本当に被災地に住む人の生活をどうしようと考えているのかを知りたい。

申し訳ないが菅内閣の無能さを表明しているような出来事だ。

本当に、被災地の復興。日本経済の建て直しを考えるのなら、小細工はやめるべきである。

増税の理由に被災地を使わないで

東日本大震災の復興に向け、国では様々な手立てを考えてくれています。本当にありがたいことです。

ただ、そのための財源として消費税や復興税が議論の俎上に上がっています。マスコミも概ね好意的に捉えています。

でも、少しでも政治にかかわり、そして被災地にいる人間としては疑問を感じています。

国家財政の全体的なスキームと今回の復興に関する費用の財源がまぜこぜになっているのではないでしょうか。

被災した地域やそこに住む人々、企業へも負担を一律に求める恒久的なものが本当に必要なんでしょうか。この制度では、被災地域はますます荒廃します。

火事場泥棒のような制度設計は是非慎んで頂きたいと思います。

本当の意味での、国家の有り方、負担の有り方を議論すべきだと考えます。

政府の皆さん、是非火事場泥棒にはならないで下さい。

立ちはだかる瓦礫の処理へ

陸前高田市内には、片付けられていない瓦礫と、少しづつではあるが片付けの進む瓦礫がある。

しかし、問題はこれからだ。瓦礫をどのように最終的に処理をするのか、その方法は、スケジュールはと具体的なことを早急に計画しなければならない。

その計画には、トータルした処理の流れが示さなければ、単に瓦礫を異動するにとどまることになる。

キー局に出演する学識経験者の方々は、ボランティアのマンパワーを話す方がいらっしゃるが、現実の現場を観てから話して欲しい。

マンパワーも必要だが、どのタイミングでどのように活用するかをキチンと計画にすることが必要だ。

2011年4月21日木曜日

生きていることから、生活することへ

消防団としての活動をした後に、市内を回ってきた。高田一中の仮設住宅に住んでいる方たちとも話をしてきました。

生きている、生かしてもらったからこそ、生きているから生活することへ家事を採ろうという機運が高まってきている。

これからは、自分の生活を取り戻す番である。

ただ、全国の皆さんにお願いです。

まだまだ、生活を自立するためには時間がかかります。息の長い支援をお願いします。

2011年4月20日水曜日

漁業者へ支援をお願いします

昨日、今日と市内の漁業者の方々と話をしてきました。
明日から、再建へ向けた活動を始めるとのことです。

陸前高田市の基幹産業である漁業の再興は、町の復興に不可欠です。

ただ、船の95パーセントは使えなくなりました。

そこで、お願いがあります。

船外機、そして水産作業用の合羽を支援して頂けませんでしょうか。

是非、お願いします。

連絡先  福田としき事務所
      fukuda@f-toshiki.com

さあ、前に向って進もう

様々な方々の応援が有ります。本当にありがたいことです。

でも、自分たちの足で前に進まなければなりません。さあ、前に向って進みます。

先日、明治大学の山口先生、東京大学の小泉先生、中央大学の谷下先生をはじめ多くの皆さんと様々な意見交換をしました。これからどうするとの議論をしました。

結果、民間ベースで「陸前高田復興会議」を立ち上げることにしました。

さあ、出発です。


皆さんのご支援も併せてお願いします。

まず、はじめの一歩として災害時コミュニティFMの開局を目指すことにしました。
資金も機材も有りません。
是非支援をお願いします。

連絡先、福田利喜
      fukuda@f-toshiki.com
                t-sandaime@docomo.ne.jp

2011年4月17日日曜日

何も見えない

昨日、国会議員の事務所の連絡先を教えてくださいという往復はがきを頂きました。民主党の政策演説会のポスターの連絡先を見ての連絡だということでした。

夕方、その方のお宅を訪ねて連絡先のメモを渡しました。

その時の言葉です。「選挙の時だけ、お願いしますで、今回何をしているのか全く見えない。」とのことでした。

姿を見せることだけではなく、どのような対策を打っているのか、国民に対して、特に被災地に対してどんな有効かつ、いち早いこと(政策)を打ち出しているか見えないとのことでした。

行政と政治のシステムのことも説明しました。理解はしているものの、やはり目に見える政策として、実効性をあるものを打ち出すことが肝心である。でなければ政治不信がますますつのるとも言われました。

執行権の持たない議員や政治家がどんな活動をしているのか、その活動がどのような結果につながっているのかを伝えることも必要と感じた時間でした。

今々の問題をどのようにスピーディに解決するかとともに、われわれの活動の仕方も合わせて考え、一日も早い復旧と復興を果たさなければならないと考えます。

陸前高田市の最も今必要なことは、水道・電気の復旧です。自宅で暮らす人たちもまだまだ電気もつきません。そして、水道の復旧は見通しさえも立ちません。

今、すべきことの優先順位と、他の市町村や国・県の応援を頂きいち早いライフラインの復旧と情報の提供だと考えます。

今日も、一日も早くライフラインの復旧のため活動することが、こんな時目に見える政治家としても活動の一つだと考え行動します。

2011年4月15日金曜日

震災後はじめての更新です

3月11日のの地震、津波から早1ケ月が経ちました。私のところにも電気が通り、やっとFOMEも安定してきました。

向の家は、まだ電気は来ていません。うちにも、水道と有線回線もまだ来ていません。

市内では津波の瓦礫も少しづつですが片付けが進んできました。

私も、避難所を回ったり、消防団として捜索活動に当たっています。

連日、全国からの支援があり感謝しています。

何もない街になってしまいましたが、私たち残されたものは明日に向かって生きていきます。

どこの家でも、身内に犠牲者が必ずと言っていいほどいます。我が家でも、おじ、おば、そして妻も犠牲になりました。

妻は、幸いにも確認することが出来、火葬を済ませることができました。見つけることが出来るのは幸せな方です。おじ、おばの消息は今でもわかりません。

私の役目は、災害過疎を作らないことだと思っています。

なかなか、更新できないけど頑張りますので応援をお願いします。

2011年3月3日木曜日

懸け橋の会発足

若い人たちの政治への参加の窓口となる会が発足した。
今も、会のあり方や今後の方向について議論が続いている。たものしい若者たちである。その代り、私に対する注文も厳しいものがありそうだ。

少しでも、多くの人たちとの懸け橋となるよう期待するとともに、私も彼らに負けないよう頑張らなければならない。

さあ、明日も頑張るぞ。

2011年2月23日水曜日

様々な地域課題

地域課題は、年代別に分けても様々あることを再認識する一日だった。

今日は、色々な人と話をすることが出来た。

高齢者だけの世帯では、通院に関する問題。

子供たちが就職する年代や、次世代が他の地域で働いている年代では、地元に帰ってくることが出来るような就職先の問題。

公共交通に頼らなければならない人たちの切実な悩み。病院に通うため一日がかりになることなど、本当に様々な悩みが有ることが実感できた。

その解決方法は、単独の自治体では解決できないものが多かった。隣接する複数の自治体が連携して行わなければ解決できない課題も多々有った。

県がやらなければならない様々な課題も見えた一日だった。

2011年2月22日火曜日

12年間に感謝

 昨日付けで、陸前高田市議会議員の職を辞しました。12年間支えて下さった皆様に感謝します。

本来なら、1軒1軒お邪魔してお礼を述べなければならない所ですが、次へのステップのためごめんなさいです。

 今度は、新たに皆さんのところにお邪魔して私の考えを聞いていただくこととなります。

 民主党への逆風、そして陸前高田市長選挙の結果など、荒波への船出となりましたが、仲間に支えられ頑張っています。

 12年間、皆様に育てていただいたことへの感謝を込めて頑張ります。

 また、議会改革をはじめとして、議員活動を精一杯させていただきました。仲間の議員もいることから様々な心の葛藤もありましたが、地域へ入っての市政報告会や、陸前高田をせんたくする会の活動、そして、議会としての公式な議会報告会の活動へとつなげることができたことは、自信となりました。これからも、活動の原点としたいと考えます。

 陸前高田市と陸前高田市議会のますますの発展を祈ります。

 一番大切な市民の幸福は、新たな立場で私も一緒になって頑張りますのでよろしくお願いいたします。

2011年2月7日月曜日

政治生命を賭けた戦いが始まる

今日から、私の政治生命を賭けた戦いが始まる。

何のために政治に携わってきたかをもう一度肝に銘じて頑張ります。

政治とは、そこに住む人たちの生活を守り発展させるためにだけ有るという原点にたって、頑張ります。

応援お願いいたします。

2011年1月31日月曜日

政策での競い合いを願う

陸前高田市長選挙が始まった。
市政に携わっているものとして、少しさびしい感じがする。
なぜ、政策論争を焦点とできないのだろうかとの疑問が日に日に募ってきている。

相手候補への論評があまりにも前に出すぎているのではないだろうか、もっと政策を前面に打ち出した選挙戦にすべきと感じている。

相手方と基本的な考え方が同じであっても、実行手段や手法が異なる場合が多いと思う。私は、それならば、その手法や実行手段を訴えて、どれだけ実現できるか、どんな経路で目指すべきまちの姿に到達しようとするのかを市民に提示し判断したもらうべきだと思う。

政治にたずさわる者のひとりとして、市民への責任の表し方は、政策であり、その実行手段や手法を明らかにすることだと考えている、