2010年6月2日水曜日

配慮

久々にブログ更新です。
なんか意味深なタイトルとなりました。
様々な意味で、この「配慮」という言葉を感じています。

「自分の立場だけで考えない。自分の物差しだけで判断しない。」
今、このことが忘れられているのではないかと感じます。子どもの世界だけでなく、大人の世界や組織でも「配慮」という言葉がどこかへ忘れてきたように感じています。

そこには、自分達だけの判断基準しか持たない単一的な組織が多くあるというか、そのような指導者が多いといったほうがいいかもしれません。

人間も、社会も様々なものに囲まれています。そしてそこから影響を受けています。ゆえに、判断するときには多面性、多様性のもとに判断しなければならないと考えます。

自信を持って、行動する際にもそこにはきちんとした説明できるものが無ければなりません。

なぜ、こんなことを今日書いているかというと、ある組織で入社したての社員をイベントに借り出しました。借り出したほうからすると自分達の組織に入れるには都合の良いイベントです。
ただ、職場の仲間、上司、社会からするともう少し違った判断、言い換えれば配慮があってもよかったのではないかと感じました。

そのイベントに借り出された社員が今後どのように育つか判りませんが、別な面から見ると決してプラスになるとは思えなかった。もう少し、後からその種のイベント参加に声をかけても良かったのではないだろうか。
声をかけたほうは、軽い気持ちで誘ったと思う。しかし、そこから起因するものを考えた行動、配慮が必要だったのではないかと。

一つのたとえを明記しましたが、私の行動にも当てはまることから、「配慮」という言葉を忘れないようにしたい。

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

相手の立場に立って考える。簡単な事なのですが、これが出来ていない。
自己の欲求を優先させて考えるから、配慮に欠けることになります。
これは商売も然り。顧客満足とは、お客の考えていることは何かを理解しないと商品は売れないという意味です。
不況でモノが売れない、と言いますが売ることばかりを考えているようでは、何時になっても売れないでしょう。
そして、配慮をするには、もっと密接なコミュニケーションが必要になります。相手の深い心理にまで思いを馳せないと、本当に望むものに気づく事ができません。
配慮の希薄はコミュニケーション不足という側面もあるのではないでしょうか?